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執筆者の写真原田貴之

ヒロシマへ向けて

更新日:2021年8月7日


午前3時、名古屋を出発し広島に向かった。最後に広島市内を訪れたのはオーストラリアに留学に行く直前の2008年。海外に渡る前に訪れたいと思ったのが平和公園だったのだ。


あれから13年、やっと広島に帰ってきた。本校を立ち上げるとき、「クレイン」という名前をつけたのは、「英語教育を通して、違いを理解し、違いを受け入れることで、平和な世界を作ることに貢献したい」と考えたからだ。そしてそのときから構想としてあったのが、日本人と日本にいる外国人とが一緒にヒロシマで英語と平和と異文化を学ぶ「クレインピースキャンプ(仮)」を実現することだった。


とはいってもヒロシマ、平和教育というと身構える人も多い。私自身がそうだったからだ。だから、原爆や戦争の恐ろしさ、悲惨さを前面に訴えるのではなく、未来に向けて平和を考え、そして心が温かくなるような経験ができる、そんな企画にしたいという思いがあった。そんな思いをアジア保健研修所に相談したところ紹介をしていただいたのが、今回まず訪問をしたANT-Hiroshima代表の渡部朋子氏だった。


渡部さんは7時間のドライブの疲れを吹き飛ばしてくれるくらい大きな笑顔で、「よーきたね、すわりんちゃい」


8月6日に向けて超多忙なはずだが、わざわざお時間を作っていただき、しかもお好み焼きまで振る舞ってもらった



また、訪問前日に中日新聞の記者の方から連絡があり、本校の新しい取り組みについて取材をさせて欲しいということだったので、こちらでミーティング



ヒロシマを世界と繋ぐANT-Hiroshimaさん、私が滞在したわずかな時間に代わる代わるいろんな方が訪問され、どなたにも屈託のない笑顔で対応されているのがとても印象的だった



午後はインターンの方のガイドで広島平和記念公園を散策



原爆ドームのすぐ東側にある本川小学校。敷地の中に被爆した校舎を資料館として開放している

クレインのクレインたる象徴的な場所

6日の式典に向けて大掛かりなセッティングがおこわなれている中ではあるが、追悼の場所は一般開放されている



平和活動を志し東京から広島大学に進学したというインターンの彼は猛暑の中ていねいに平和公園周辺を案内してくれた。



夜はミュージカルで平和を表現するI PRAYを観劇。被爆前の日常の生活から被爆直後の苦しみと悲しみ、そして復興に向けた希望を表現しており、最後は胸が温かくなる。



広島にはこういったピースメイカーの役割を担う若者がたくさんいるということに大きな希望を抱いた



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